ある意味宣言で、ある意味ただの覚書(笑)
私は宗教観の薄い人間で基本的に「神は人が作り出したもの」だと思っています。
それでも大晦日には除夜の鐘を聞きたいし、新年には神社にも行きたい方で、神社仏閣教会などの場所も好きです。
不思議と凛とするというか、さすが自身と向き合いやすきシチュエーションの所だなと思うのです。
そして今回少し感じた事をメモ代わりに書いておこうかと。
神さまって得だよね。
私は良い事があると「明日、死ぬんじゃないだろうか」「この代償はどのくらい大きなものがくるのかな」と素直に喜べない性質で、そういう時でもちょっとばかりは「神さま、ありがとう」と、どの神さまを想像するでもなくふと思うのです。
そして悪い事があると「やっぱ神さまなんて居ねぇよな。まぁ居たとしても見ているだけなら居ないのと同じだし、なんもしないヤツなら居ても居なくてもどっちでもいいわ。自分で何とかしなきゃなんないし、どうしたもんだか。ただ、悪戯に足を引っ張るようなマネしやがったら許さねぇ!」など割と心の中で悪態をつきます。
要約すると「良い出来事は神さまのおかげ」「悪い出来事は自業自得」そう思っているので、結果「神さまって、いいとこ取りだな」と思う訳です。
数年前、学生時代の知人に「(病気の際)よく(特におかしな?)宗教にはまらなかったな」と言われた事があります。
昔ながらの宗教も新興宗教も、どれも私を納得させるものがあった試がない。
もし、目の前にキリストやブッタが居たとしても「一言モノ申したい!」と思ってるので(笑)
それも実のところ、一言では済まないほど色々言ってやりたい事やどういうつもりだと聞きたい事があるくらいなので、私が宗教にはまることはおそらく今後もないでしょう。
ではなぜ今、改めてこれを書いているかというと、昨日があまりにも素晴らしい1日だったのでうっかり「神さま、ありがとう」と思ってしまったのです。
でもね、もし神さまが居るなら(居なくてもどっちでもいいのだが)よく聞いておくがいい。
昨日の素晴らしい1日は誰でもない私が自分で勝ち取ったものだ!!!
と強気な一言を忘れないために置いておく(笑)