戯れ言ブログ

ドラマや映画の感想の他、思ったこと感じたことを少しずつ流してゆきます。

ドラマ 猫忍 第一話

今回のお猫、金時さんは猫侍のあなごさんたちに比べるとわりに丸めのむっちり豊満ボディ(笑)

CM明けのアイキャッチは何故かハムスター!
あれはキンクマかな?

主人公の忍者の風貌がまるで赤影w
大野拓朗くんも顔が昭和顔のイケメンだから妙に似合う。
どうやらキャラ的に猫侍の斑目さんのように心の声が出てくるようで、今回は姑さんではなく上司?に怒鳴られてるという少し情けない?ところも共通点のようです(笑)

大野拓朗くんと言えば、NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」で祖母の材木屋の養子さん役が肩書きに上がるのかも知れないが、私的にはプレバトで「おっしゃれー」のコメントを連呼してた緩さが印象的な俳優さんです。
そんな緩さのある大野くん演じる今回の主人公はお猫さまを幼い頃生き別れた己の父上と勘違いしているという。
森本レオさんのナレーションによるとリア充の物語が始まるそうだが、猫を父上と思ってるのにどうリア充な物語になってゆくのか気になるところです。

番組終わりにはさっそく5月20日に猫忍の映画が出るという番宣付き(笑)
は、早いね(笑)

ドラマ 山田孝之のカンヌ映画祭 第一話

もう北区赤羽臭がプンプン香ってくるようなドキュメンタリーちっくな作品。

カンヌ映画祭でトップ、パルムドール賞を狙う!というもの。
この中で山田孝之の立ち位置は役者ではなくプロデューサー。

作品は親を殺害したり死体とSEXしたりとのエピソードのある猟奇殺人者をモデルとしたものを題材に考えていて、主役はこの人にオファーをと番組終盤に登場したのはまさかの芦田愛菜ちゃん!!!

で、2話にひっぱられるという(笑)
またしばらく山田孝之の不思議ワールドに再びひっぱられるのか(笑)

カンヌ映画祭を狙うために借りた事務所は横浜。
今、首都圏界隈で一番熱い土地!!!
窓やテラスが普通にかっこいいのよねぇ...。

ちなみに最近の私は住むなら横浜か福岡がいいなぁと思っている(笑)

ドラマ 雲霧仁左衛門3 第一話感想

第3シーズンを前に第2シーズンを一挙放送していました。雲霧仁左衛門

原作は池波正太郎鬼平犯科帳の人です。

この主人公、雲霧仁左衛門は盗賊のお頭さん。
火付け盗賊改の天敵側。
第2シーズンでなぜ盗賊になったのか彼の素性は?など、核心に迫る部分だったのでまさか3が出てくるとは思ってませんでした。

第1話は前回で解散した一家が集まり、雲霧仁左衛門が戻ってくる部分でした。天敵の火付け盗賊改、安部式部は任を解かれお手先組?(城の警護係)とかになっていたところ同じく任を解かれた部下たちと雲霧を追うという。
火付け盗賊改でない分、少数精鋭的な感じを受けました。

今まで時代劇ってただダラダラと見てた事が多かったのですが、今回の私は目の付け所が少し変わりました。
(今さらなのですが)江戸時代のどのあたりの時期なのか気にするようになったのです。

この雲霧仁左衛門は前シーズンから1年後くらいとの設定で、前回最後に亡くなった仁左衛門の兄や手下の者の墓を参るシーンがあり年代をみると「享保7年」と。
なるほど、8代吉宗あたりで色々目立った政策も行われ始めたあたりです。

正月特番の大岡越前も8代吉宗時代。
江戸の人気の時代のひとつでした。

さてお頭が戻ってはきたもののどう展開していくのか、新キャラ『大工の七松』の細工仕事などが毎回出てくると面白そうなのですが...どうなることやら。

ドラマ 大貧乏 第一話感想

小雪さんが好きではないので見るのは躊躇いましたが、一応予約録画で見てみると...

面白い!

なかなか(脚)本が面白い!!!

中年のラブコメだけならいらないなーって思ってたのですが『時々サスペンス』って書いてるだけあってなかなか面白い。

成田凌くんが相変わらず年上女性にウケる男子って立ち位置。これはそろそろ違う立ち位置の使い方(特に気軽に見られるテレビドラマの上で)してあげないといかんのではないかな?と少し感じた。

それにしても成田くんそんなに背が高いと思ってなかったけど、伊藤淳史くんとの差が面白すぎてこれはなかなかよいキャスティング

導入の貧乏になるエピソードは少し乱暴な気はするけど、まぁそこはこの先の進み方で目をつぶれるか納得できる範疇なのかは評価は保留。

主人公の七草さんの旦那さんは?写真の母親らしき女性は?など過去エピソードも含め今後に期待できる第一話だったと思う。

ある意味宣言で、ある意味ただの覚書(笑)

 

私は宗教観の薄い人間で基本的に「神は人が作り出したもの」だと思っています。

それでも大晦日には除夜の鐘を聞きたいし、新年には神社にも行きたい方で、神社仏閣教会などの場所も好きです。

不思議と凛とするというか、さすが自身と向き合いやすきシチュエーションの所だなと思うのです。

 

そして今回少し感じた事をメモ代わりに書いておこうかと。

 

神さまって得だよね。

 

私は良い事があると「明日、死ぬんじゃないだろうか」「この代償はどのくらい大きなものがくるのかな」と素直に喜べない性質で、そういう時でもちょっとばかりは「神さま、ありがとう」と、どの神さまを想像するでもなくふと思うのです。

そして悪い事があると「やっぱ神さまなんて居ねぇよな。まぁ居たとしても見ているだけなら居ないのと同じだし、なんもしないヤツなら居ても居なくてもどっちでもいいわ。自分で何とかしなきゃなんないし、どうしたもんだか。ただ、悪戯に足を引っ張るようなマネしやがったら許さねぇ!」など割と心の中で悪態をつきます。

 

要約すると「良い出来事は神さまのおかげ」「悪い出来事は自業自得」そう思っているので、結果「神さまって、いいとこ取りだな」と思う訳です。

 

数年前、学生時代の知人に「(病気の際)よく(特におかしな?)宗教にはまらなかったな」と言われた事があります。

昔ながらの宗教も新興宗教も、どれも私を納得させるものがあった試がない。

もし、目の前にキリストやブッタが居たとしても「一言モノ申したい!」と思ってるので(笑)

それも実のところ、一言では済まないほど色々言ってやりたい事やどういうつもりだと聞きたい事があるくらいなので、私が宗教にはまることはおそらく今後もないでしょう。

 

ではなぜ今、改めてこれを書いているかというと、昨日があまりにも素晴らしい1日だったのでうっかり「神さま、ありがとう」と思ってしまったのです。

でもね、もし神さまが居るなら(居なくてもどっちでもいいのだが)よく聞いておくがいい。

 

昨日の素晴らしい1日は誰でもない私が自分で勝ち取ったものだ!!!

 

 

と強気な一言を忘れないために置いておく(笑)